遅ればせながらですが、『風立ちぬ』をようやく観てきた山本です。 各所でさんざんなされているので、今さら感想を書くのは止めますが あえて言うなら、件のタバコ騒動のあとだったため、 「おっ、吸ってる」「なるほど吸ってる」「ほほー、ここでも吸ってる」 といった感じで、喫煙シーンがやたら目についてしまいました……。 気になる作品は、余計な情報がインプットされないうちに観に行きたいものですね。

とまぁこれは前置き。ここからが一応本題です。 『風立ちぬ』の主人公は言わずもがな零戦の設計者である堀越二郎ですが、 僕の祖父も軍用機の設計者でした。 別に困るわけでもないのですが、特定されるのも何なので 具体的に「○○を設計したんですよー」ってのはちょっと差し控えさせてください。

堀越二郎が東京帝大を主席で卒業して民間の三菱に入社したのに対し、祖父は某帝大を卒業後、海軍に入り、技術将校の道を歩みます。

別の場所に住んでいましたし、僕が小学校3年のときに亡くなっているので 正直言ってあんまり祖父の思い出というのはないのですが、 伝え聞く話によると、“一種の天才”というべき人物だったそうです。

ま、この辺りは身内の身びいきの面もあるでしょうから 額面通りに受け取れはしないでしょうけど、 中佐だったらしいので旧エヴァ時代のミサトさんよりは階級は上。
そう考えると、普通にエリートだったんだと思います。

(「兵科将校と技術将校を一緒くたにすんなヴォケ!」とツッコまれそうですが)

映画『風立ちぬ』では堀越二郎が技術を学びにドイツを訪れる様子が描かれました。 祖父も1年弱という短い期間ではありますが1935年にドイツ留学をします。
その旅立ちから帰国まで、祖父は「滞独断片抄」なる日記をつけていてそれがまだ残っていました。

資料的価値は結構高いんじゃないかなぁと思いつつ、一部を紹介します。

なお以下の写真では、個人名など一部モザイクをかけさせてもらっています。

 

当時のパスポート。外務大臣が広田弘毅というのがちょっと胸アツです。

航路予定表。当時はヨーロッパに行くのは船旅です。 8月18日に横浜を出航し、フランスのマルセイユで下船したがのが9月30日。 目的地のベルリンに着くのが10月5日と、片道一月半かかっています。 祖父は大阪在住だったので、8月20日に乗船したんだと思いますけど。 今なら十数時間でつくんですが……。

研究についての記述もチラホラ。 ただ、旧字体が読みづらい上にドイツ語が入り交じっているので内容の把握は困難です。

スケッチなんかもちょいちょい入っています。 上の写真はベルリン郊外だそう。

現地から職場に送った手紙が、たぶん海軍内の社内報みたいなものに掲載されたんだと思います。 その切り抜きです。Auf Wiedersehenで締めるなんてアスカみたい?

滞在期間中、いろいろなところへ旅行にも行っていました。 上の写真はハンガリーのブタペストを訪れたときのものです。

帰国を前にしての日記。 ドイツでの生活を「一年の夢の生活」と綴っています。

帰りは陸路をたどりました。 満州鉄道食堂車のメニュー表なんて他に現存するんですかね? 「鑑定団」に出したらちょっとは値がつく?

最後の自筆ページ。 大阪に到着しました。

さてさていかがでしたか? 『風立ちぬ』にも、そもそもゲームラボにも関係ない話題ですけど、 少しでも興味を持っていただけたのであれば幸いです。