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本日4月16日はゲームラボ2013年5月号の発売日です。 それに合わせて、水面下で準備をしていたブログをスタート。

以前より会議などで「ブログをしてみてはどうか?」という話が何度も出ていたのですが、 年度が改まったこのタイミングでのスタートと相成りました。

 

初回なので、本日発売の5月号について触れていきたいと思います。

まずはTOPICSですが PS3ゲーム改造用の新ツールCODE UNIQUE 3について 詳しく情報を掲載しています。

これまでPS3ゲーム改造というと サイバーガジェットさんのセーブエディター用パッチコードを ゲームラボでは掲載してきました。

ただパッチコードはいわゆるセーブデータ改造のため、 お金MAXやレベル最高などはできても複雑なゲーム改造は不可能。

しかしCODE UNIQUE 3はリアルタイム改造用ツールのため 視点変更なども可能になっています。

ということで『初音ミク -Project DIVA- F』『DOA5』で実にケシカラン姿を激写!!!  紳士の皆さまにお楽しみいただけると思います。

そのほか取材モノとして「アーケードゲーム博物館計画倉庫探訪」なる記事を掲載。 懐かしの大型筐体を無料で楽しめるオールドゲーマー感涙必至の夢の場所にお邪魔してきました。

どんなゲームがあったのかは5月号を手にとって確認してみてくださいね。

 

第1特集は「得する裏ワザ」。 昨年、世間様をお騒がせした三才ブックスです。

そうした経験を踏まえて、“法に触れずにどこまで何ができるのか”を追求。 現行法での線引をしたうえで今行える「コピー」「ダウンロード」などについて紹介しています。

これさえ読めばビクビクしながらPCを使う必要がなくなります! 家電改造、お得ネタ、オススメ市販薬・目薬編などの記事もてんこ盛り!

 

第2特集は「プリキュア10周年 大きいお友達入門」。

めでたく放送開始から10年を迎えたプリキュアを本誌の視点から大特集しました。

思わず涙をこぼしちゃう名作回、思わず我が目を疑う迷作回、 大きいお友達でも使えちゃうグッズなど “大人のプリキュアファン”向けがコンセプトです。

 

第3特集は「PSP極大裏活用」です。

長らくファームアップもされておらず まさしくやりたい放題なPSPを とことん使い倒すための情報を凝縮しました。

 

さらに今月は特別企画が2本! まずは大ヒット中の『パズドラ』を大々的にフィーチャー。

「 どうせソシャゲでしょ?」と敬遠しているゲーマーもまだいるかもしれませんが それでプレイしないのはもったいない!

今から始める人でも『パズドラ』を 120%楽しむための超攻略法を伝授します。 とはいえ初心者向けだけの記事ではありません。 すでにプレイ済みの中級者にも十分に役に立つ情報を 詰めに詰めたと自負しています。

 

もうひとつは2月に亡くなった飯野賢治さんに関する「さよなら飯野賢治」。

日本ゲームが世界を牽引していた時代、その中で異彩を放っていた飯野さんについて ゲームライター・箭本進一氏に述懐してもらいました。

『Dの食卓』で飯野さんが一世を風靡したころ、 ライターになる前だった箭本氏が飯野さんについてどんな想いを抱き ライターデビューを果たしたのちも、 その発言や作品性で物議をかもした飯野さんをどんな視線で見続けていたのかが 赤裸々に綴られている、読み応えのある原稿になっています。

かつて飯野賢治ファンだった人にもアンチだった人にも ぜひ一読していただきたい特集です。

 

これ以外にお馴染みの連載も力が入っているので ゲームラボ2013年5月号をぜひよろしくお願いいたします。

 

と、これだけだとあまりに宣伝めいているので蛇足かもしれませんが、 5月号の奥付で触れた僕の飯野賢治さんにまつわる思い出話を。

僕がゲームラボ編集部に入ったのは2007年9月のこと。 それまでも編集はしていたのですが バリバリの専門書籍を扱う出版社に勤めていたため 雑誌編集経験はありませんでした。

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「ラフって何???」みたいなところからスタートし、 少しずつ担当ページを増やしていく中で 重い特集を最初に担当したのが 2008年11月号の第2特集「ドリームキャスト10周年」です。

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ドリキャスは僕が最も愛するゲームハードで 入社した直後から「ぜひやりたい!」と主張し 当時の編集長から「だったらやってみろ」と 言ってもらい企画がスタートします。

いろいろなコンテンツを考えて進めていたのですが その中の1つにドリキャスに関わった人の インタビューを入れたいと考えました。

ただ、ゲームラボという媒体だけに セガのクリエイターに直接アプローチするのは難しいと判断。

まずは「元セガの人に依頼してみよう」と、 第1候補としてドリキャス発売時にセガの社長をしていた 入交昭一郎さんにアクセスしてみました。しかし 秘書の方と何度かメールのやり取りをしたのですが 結局お断りをされてしまいます。

そこで次の候補に挙げたのが僕が一番プレイ時間を費やした 『PSO』の開発者・中裕司さんです。 中さんは当時、セガから独立しプロペという会社と起ちあげていました。

(ちなみに現在も中さんはプロペの代表取締役です)

「大所帯のセガから離れたのであれば、もしかしたら?」と こちらにもアプローチ。 しかしプロペの方から 「広報関係はセガに委託しているので、セガに話を通してください」 との返答が。

そう言われてしまうと話をせざるを得ないので セガに連絡をしてみると、案の定というべきか 「ゲームラボへの協力はちょっと難しい」とのお返事。 やりとりの待ち時間などもあり、この段階でスケジュール的にかなり厳しくなっていました。

(ちなみにこの当時でもまだゲームラボでは写植を使っていたのです)

そこで一縷の望みをかけてメールを送ったのが飯野賢治さんです。

企画の趣旨。これまで入交さんと中さんに断られたこと。スケジュールはギリギリであること。 ついでにゲームラボという雑誌がいかにケシカラン雑誌であるかということ。 でもぜひお話を聞かせてもらいたいと思っていること。 そんなこんなの熱い思いをメールに書きまくりました。

結局、飯野さんへの取材も先方の都合が合わず実現しなかったのですが その連絡をいただいた際に「でも連絡をもらえて嬉しかったです」という一言もいただきました。

これが嬉しくもあり、実現しなかったことが悔しくもあり…… といった一連を、今回の訃報に際して思い起こした次第です。

すっかり時間があいてしまいましたが、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 

余談ですがインタビュー記事が実現しなかったため そこから突貫工事で別の記事を仕上げることになったわけですが どこの記事になったか2008年11月号をお持ちの方は見てみてください。

 

もう一つ余談。僕はサターン、ドリキャス時代にセガ信者を以って自認していました。 そのため「ゲームラボだから協力できない」とセガから言われたときには 結構な勢いで凹んだことを覚えています。

 

さてさて、思うがままに書き連ねているうちに 気がつくと結構なボリュームになってしまったので 今回はここまでにしたいと思います。

今後、各編集部員がそれぞれの切り口で更新していきますので ゲームラボ本誌に併せて、ゲームラボブログへもご愛顧をいただきますようお願いいたします。